自然の歴史は善から始まる。
カント. 永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編(Amazon)
それは神の業だからである。
しかし自由の歴史は悪から始まる。
それは人間の業だからである。
カント
まるで小説のような言い回しですね。
神様がいるかどうかは別として、一番興味深いのは、「自由の歴史は悪から始まる」という言葉かなって思います。
現代社会において、自由というのはとても重要です。
自由の無い社会というか、国家に住むのは、かなり大変なんじゃないかなあって。
すべてが何もかも自由ということはなくて、社会によって制限された中での自由ではありますが、その制限がどの程度なのかで、生きやすさというのは変わってくるでしょう。
また、与えられたはずの自由が、権力によって奪われることが無いことも、社会における自由の概念では重要だと思っています。
そんなワタシたちの自由は、様々な歴史を経て手に入れることができているわけですが、そもそもその出発点が悪という考え方は、ワタシ的には新鮮でした。
対比されている言葉が神なので、この言葉自体はわかりやすいです。
人間はそもそも神によって管理されていた善の存在だったが、リンゴを食べるという自由意志を得たことによって、神の世界から追放されたということ。
ですので、神様を信じている人にとっては、非常に納得のいく言葉というか、当たり前のように感じるだろうなあと思いました。
こういう考え方の違いというか、感性の違いって、ワタシ的にはとても興味があります。
なぜなら、同じ自由について議論していたとしても、出発点が異なれば結論も違いますし、その出発点が揺るぎないものであれば、どうやっても議論は平行線になるからです。
そして、そういった様々な考えを持った人たちの集合によって社会、国家は成り立っています。
このあたりの考え方の出発点というか、根本的なところで、ある程度の意思統一ができていないと、きっと世界は平和にならないのかもしれないなあって。
つまり、表面上の自由とか、権利とか、義務とか、そういう話じゃなくて、その根っこにある部分について、一度議論したほうが良いようにワタシは思いました。