「【文化の壁】日本が嫌いになる外国人も…郷にいれば郷に従え?日本も変わるべき?|アベプラ」の話題から。
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海外に移住した方や海外の方が日本は変と感じた
という、話で日本は変わるべきかどうかというテーマです。
ワタシ的な結論を言えば、「日本を否定するのではなく、自分にとって快適な環境に住めば良いだけ」ではないかなと。
出演されたお二方とも、海外で快適だと感じているのであれば、それで良い話で、なぜ他の人が良いと思っている環境を自分の基準で変えようとしているのかワタシには理解できませんでした。
日本に住んでいる方の中にも、日本で生きづらいと思うのであれば、海外に住んでみれば良いし、それで海外の方が良ければ、そのまま永住すれば良いだけ。
海外に住んでやっぱり日本の方が良いなと思えば、日本に戻ってくれば良い話です。
ずっと同じ環境は続かない
日本に限らず海外もそうですが、ずっと同じ環境は続きません。
なので、今は快適でも、後々快適ではなくなる場合もあります。
その時に、その国に責任を問い詰めても、労力の無駄だとワタシは思います。
さっさと移住すれば良いだけです。
国だけじゃなく会社もそう
今回は国の話でしたが、会社もそうですよね。
自分に合わない会社であれば、転職すれば良いだけ。
世の中にはたくさんの会社があります。
だから、自分が働きやすい会社が見つかる可能性は高いでしょう。
日本が変というお二方とも、主に仕事関係のトラブルで、日本が生きづらい、住みづらいと感じているので、なぜ会社を変えなかったのかな?とワタシ的には思いました。
独立するのも選択肢
また、仕事について言えば、独立するというのも選択肢です。
人の下で働くのが嫌であれば、個人事業主や起業するという方法があります。
そうすれば、仕事のストレスはかなり減るでしょう。
ただ、給与の面では、多くの場合下がるでしょうし、安定的な収入を得られなくなることが多いです。
もちろん、大成功してサラリーマン的な時よりも大金を手にする場合もあるでしょう。
それらの選択肢をすべて捨てて、日本は変というのは、少し飛躍した論理かなとは思いました。
英語を喋れない人はレベルが低いという思想
本動画でワタシが一番気になったのは、日本では英語教育があまり良くなく、英語を流暢に喋れる人が少ないという指摘でした。
これは昔からあるのですが、英語圏が世界のスタンダードであり、それ以外は普通ではないという考え方が英語圏で育った人たちの中には、結構あります。
少し極端な言い方をすると、英語圏以外は未開の野蛮な国という考え方です。
今でこそ、日本の文化が世界に発信され、日本の文化が広まっています。
しかし、昔は日本なんてのは極東アジアの小国で、欧米人からすると動物園で猿を見るのと変わらない感覚でした。
アジア圏の人がイエローモンキーなんて呼ばれたりしていたのは、まさにその典型ですね。
また、欧米圏の映画やドラマを見るとわかりますが、日本人として登場している人が喋る日本語は、あまりにも変です。
これも日本や日本語を下に見ていることの現れ。もっと言えば、どうでも良いレベルだと考えているのです。
近年では、ようやく日本人の俳優の方が日本語で喋る映画やドラマが登場し、それがヒットしたりもしています。
なので、徐々にそのあたりは変わってきているのは間違い無いですが、まだまだ日本を含むアジア圏への見下しは根強く残っているのは間違いありません。
それが、まさに英語を流暢に話せる人がいないという発言からにじみ出ています。
郷に入っては郷に従え
日本には「郷に入っては郷に従え」という言葉があるように、海外にも「When in Rome, do as the Romans do(ローマにいるときは、ローマ人のするようにせよ)」という言葉があります。
これはそれぞれの国の文化を尊重するという意味で、とても大切なことだとワタシは考えています。
しかし、前述したように、欧米の人の中には、アジア圏に対してそもそも文明圏として認めておらず、自分たちのスタンダードに合わせるのが当然だと考えている人もいます。
ローマは文明圏という認識ですから、それには従うけれども、日本は文明圏ではないから、従う必要がないという感覚です。
もっと言えば、前述したようにサルだと思っているので、サルに合わせる必要があるのか?ということ。
そういう考え方も近年ではどんどん変化しています。
表面上は差別は無いが・・・
一番ワタシが怖いなと思っているのは、表面上は差別が無いように見えるという点。
根っこの部分では差別しているけれども、それを表に出すと問題になるので、隠しているという話です。
アメリカは特に多民族国家ということもあって、民族間や人種間の軋轢が絶えません。
その解決方法として、表面上は差別を無くそうという社会を生み出しました。
これは社会を円滑に動かすために良い方法ではありますが、本質的な解決にはならず、いつか爆発する可能性を秘めています。
そもそも前回の大統領選挙は、まさにこれが結果として現れたとも言えるでしょう。
多様性とは他者を認めることで否定することではない
本動画で、もう1つ気になった点は、日本は多様性が無いという話。
サムネにもなっていて、それは大嘘という反論がありました。
ワタシも大嘘だと思います。
そもそも多様性とは、他社を認めることであり、自分たちの考え方に相手を合わせることではありません。
なので、日本は変と言っている時点で、多様性を認めていないのです。
正確に言えば、自分たちが考える社会が良い社会で、それ以外は悪い社会だと考えていて、悪い社会は変わるべき、排除すべきだという考え方の裏返しでもあります。
その根本は、自分たちが正義である、英語圏こそ正義である、ホワイカラーこそ正義であるなど、様々な要因があります。
そして、これも前回の大統領選挙の結果が物語っていると言えるでしょう。
自分たちが考える社会が良い社会だと考えるハリス陣営が、そのような社会で虐げられる人たちに支持を受けたトランプ陣営に負けたということです。
本来であれば、多様性を宣言しているハリス陣営が、なぜか多様性を排除する側になるという、少し奇妙な構図ではありました。
大統領選挙については、
アメリカの敗北?民主主義の危機? 相手を否定するのではなく、話し合いからはじめるべきでは? | Aoi Yuki Blog
でもう少し詳しくワタシの考えを書いているので、よかったら御覧ください。
日本は多様性があるか?
じゃあ、日本は多様性を認めている社会なのかと言われると、それは違います。
ただ、海外は多様性を認めているのかと言われると、それも違うかなというのがワタシが感じているところです。
ただ、日本人は事なかれ主義、玉虫色の結論が好きな民族で、よく言えば和をもって尊しとする文化でもありますが、悪く言えば、優柔不断で判断しない文化とも言えます。
その結果、何でもかんでもなあなあになることが多いですが、その緩さがグレーゾーンを包含できるというメリットでもあるのです。
かなりざっくり言ってしまうと、海外は白黒文化、日本は灰色文化ということ。
どちらが良いのかと言えば、それは人それぞれですし、ワタシ的には、両方のバランスが大切だと考えています。
このあたりはとても難しいところですね。
自分にあった環境で生きていける時代になった
いろいろと書いて来ましたが、結局のところ冒頭で書いたように、「日本を否定するのではなく、自分にとって快適な環境に住めば良いだけ」なのかなと思います。
自分にあった環境で生きていける時代になってきたので、そういう環境に移り住むのが一番です。
そして完璧に自分に合った環境というものは存在しないので、メリット・デメリットを勘案し、自分にとって一番メリットのあるところに行けば良いのではないでしょうか。
余談:グローバルスタンダードという嘘
最後に少しだけ、グローバルスタンダードという言葉について書いておこうと思います。
近年、日本ではグローバルスタンダードという言葉が使われるようになりました。
最近では少し減ってきている印象です。
このグローバルスタンダードは、英語圏に合わせよという考え方で、本当の意味でのグローバルではありません。
言語のランキングで言えば、英語が最も使われているのは間違いありませんが、英語が使われているのは全世界の20%弱です。
参考 → 世界の言語ランキングTOP31!アラビア語が驚異の成長率に|翻訳会社WIPジャパン
2位の中国語も人数が多く、実は人口としては英語との差は1億人もいません。つまり、中国語も20%弱です。
結局、グローバルスタンダードというのは、欧米人に憧れる人たちによる、欧米化への常套句でしかないとも言えます。
このことからも、英語圏が世界で自分たちが中心と考えていることがわかりますね。
真の意味でのグローバルスタンダードを考えるのであれば、その他80%以上の人たちのことも考えるべきでしょう。