日本にはたくさんの神社がありますね。八百万の神と言われるように、日本人は様々なものに神を見出してきました。そして神道として、今なお受け継がれています。
本書は、そんな日本の神道の観点から見た、美しき日本人のあり方について説いた内容になっています。
著者は将来、滋賀県近江八幡市の賀茂神社 50代となる予定の宮司岡田能正氏。神社の中の人の言葉ということで、重みが違います。
読んでいくと心が凛とする一冊。
グッときた言葉
「神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人」を読んで、ワタシ的にグッときた言葉をピックアップしてみました。
「ベジタリアン」「ヴィーガン」について
最近では「ベジタリアン」「ヴィーガン」という食事のポリシーをもつ方々が「命を奪うのはかわいそう。お肉やお魚、動物性食品は食べません」とおっしゃっていますが、お米や豆、野菜も同じく「命あるもの」。
これはまさに至言ですね。日本人ならではの発想。ザ・日本の文化という考え方だと思います。
鏡について
鏡、「かがみ」から「が(我)」を抜くと「神」になるとも言われています。
これはハッとさせられました。本書では「我が出る」「我が強い」と人だけでなく神様からも嫌厭されるとしています。自分自身を見つめ直すのに鏡は良い気がしました。
涙にも神様
愛する妻である伊邪那岐命(いざなみのみこと)を亡くした伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は涙を流します。その涙は「泣澤女神(なきさわめのかみ)」という女神になりました。流す涙ひとつにも神様を見出した私たち日本人。そこに流れていた血と同じものが今、あなたにも間違いなく流れているのです。
日本人は何にでも神が宿るとしていたことがわかります。まさに八百万の神。そして、そういう感性こそが日本人であり、それを感じることができる血が流れていることが、日本人の誇りなのかもしれませんね。
捉え方一つで見方が変わる
キリスト教では禁断の果実を口にしてしまったアダムとイブに対し、「神が罰として、イブ(女)には出産の苦しみを、アダム(男)には労働の苦しみを与えた」とあります。労働が罰であり、苦しみであるということです。対して、日本人にとって働くことは神様ととものあること。そこには喜びがあります。
日本では、田植えなど日々の生活がそのまま神事になっていると本書では書かれています。生活そのものが神とともにあり、それは苦しみではなく喜びということだそうです。
同じ物事でも捉え方一つで、変わりますよね。このような考え方も大切なのかなと思いました。
パワースポット
パワースポットは大自然そのものともいえます。それを営利目的で使用することは自然や神々に対する冒涜ではないでしょうか。
本書では、パワースポットのことを「大自然の気を感じる場所」としています。少し前にパワースポットブームがありましたが、大切なのはパワースポットにいくことではなく、そこで「大自然の気を感じること」なのかなと思います。
私的感想
本書では、日本の神道、神に対する考え方、日本の文化について、良い面をクローズアップして書かれています。改めて日本人、日本の文化の良さを再確認するのに適した本だと思いました。
パワースポットといった目先のものに囚われず、神様を感じ、日々に感謝し、謙虚に活きることが、本来、日本人が行ってきたことです。西洋文化が入ってきて、生活は大きく変わりました。しかし、その本質、日本人のこころの在り方は変える必要はないのかなと思います。
最初に書きましたが、まさに心が凛とする一冊だと思います。
その一方で、日本にも後ろ暗い部分があることも間違いありません。典型的な例は屠殺。殺生は穢(けが)れとされていましたので、日本では屠殺を行うのは、もっとも身分が低い人たちでした。そして、彼らはずっと差別されてきたのです。他にも似たような話はいくらもあります。
本書が陰陽の陽であるならば、陰の部分についても、改めてスポットを当て、そしてよりよい日本人のこころの在り方について、考えることができたら、良いなって思いました(*´ω`*)
「苦しいときの神頼み」の前にやること。日常生活における神様との向き合い方、その極意を多くの日本人に伝えるべく、神道の専門家であり、由緒ある家に生まれ育った著者が神社ブームの中心を成す20~30代女性にも親しみやすい言葉で紹介する書籍。
神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人。 Kindle版
著者:滋賀県近江八幡市 賀茂神社 岡田能正