わかったものを受け入れる、
きみを自由にする言葉 喜多川泰名言集(Amazon)
わからないものは受け入れられないと考えるのではなく、
まずは受け入れるのだ。
喜多川泰『賢者の書』
第三次世界大戦の後、人はもうこれ以上争うべきではないと誰もが思ったのではないかなってワタシは考えています。
それほどに悲惨な戦争でした。
しかし、それから何十年経った今でも、戦争が起き、もしかすると第四次世界大戦に発展するかもしれない状況になっています。
戦争を仕掛ける側は、何かしらの大義名分を掲げています。
なぜ戦争するのかと言えば、自分たちの言い分を相手が聞いてくれないからです。
ただ、戦争を仕掛けられた側にも言い分はあります。
双方に言い分のぶつかり、落とし所がないために戦争が起きてしまうわけです。
ただ、本当に落とし所が無かったのかなってワタシ的に思ってしまいます。
というのも、多くの場合、相手の主張を聞かず、自分の主張を押し通そうとしているように感じるからです。
感覚的には、相手の主張を絶対に受け入れない状態になっているようにも思います。
もし、相手の主張をまずは受け入れるということを出発点に議論をしたら、違う結果になったんじゃないかなって。
戦争という大きな出来事だとわかりにくいかもしれませんが、同じようなことが日々、様々なところで起きているようにも思います。
そして多くの場合、双方がお互いに主張はするものの、相手の主張を一度受け入れてみるという考えすらないように感じるのは、ワタシだけでしょうか?
対立から軋轢を生むのは簡単です。
でも、それでは根本的には何も解決しないのかなって。
相手の主張をまずは受け入れてみるというのは、ワタシの感覚では一歩、相手に歩み寄ることだと考えています。
その一歩を踏み出せるかどうかで、結果は大きく変わるんじゃないかなって。
ずっと平行線のままよりは、一歩歩み寄ることの方が絶対に良い結果になると思うのは、ワタシだけでしょうか?