お金さえ払えば、考える必要などない。
カント. 永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編(Amazon)
考えるという面倒な仕事は、他人がひきうけてくれるからだ。
カント
この言葉には2つの意味があるのかなって思います。
1つは、お金があれば何も考えずのんべんだらりと暮らすことができるということ。
もう1つは、お金によって人間は考えることを止めてしまうということ。
人間の本質とは何でしょうか?
デカルトは「我考える、ゆえに我あり」と言いました。
考えるから自分は存在するという意味です。
それに従えば、人間の存在とは考えることであり、それが人間の本質なのかもしれません。
人間は考えることで、様々なものを生み出し発展してきました。
それは善いことも悪いことも含めて。
そう考えると、お金によって考えることを止めてしまうのは、人間の存在意義が失われると言えるかもしれません。
その一方で、近年ではAIやロボット、機械の発達によって、人間の仕事がどんどん奪われていっています。
この流れはもう止めようがないでしょう。
その先にある未来は、あらゆることをAIやロボットなどがやってくれて、人間はただ繁殖し、種を残すために生存しているような社会かもしれません。
もしかするとマトリクスのように、生命維持装置の中で眠るだけの存在になる可能性もゼロでは無いでしょう。
それを不幸と捉えるのか、それとも幸福と捉えるのかは、人によって違うかなと思います。
なぜなら、煩わしいこと、悩みなどから解放された人間というのは、ある意味、解脱状態に近いとも言えるからです。
そうなると、あながち悪い話でもないのかもしれません。
でも、ワタシ自身は、やっぱりずっと考え続け、悩み続けて生きたいなと思ってはいます。