常に溺れている。
溺れていないことなど、今まであっただろうか。
心も体も、ずっと何かに押され続けていて、気づけば、その見えない何かに侵入され、溺れてしまう。
本当は溺れているのに、もはや溺れていることに気づかない。
それが普通になってしまうと、私たちは溺れていることを忘れる。
そうやって、人は辻褄を合わせていくのだ。
溺れて何かを失って、失ったものを見ようとしない。
失ったものを認識してしまったら、そのまま溺れて、底に引き込まれてしまうかもしれないから。
バタバタともがいてみたところで、徒労に終わる。
多くの場合は。
それを知っているから、あがきたくないのだろう。
もしかすると、あがくこと自体、忘れてしまったのかもしれない。
忘れようとしているのかもしれない。
私たちは溺れている。
常に溺れている。
本当は溺れている。