問題を正確に定式化できないのは、
時間は存在しない(Amazon)
往々にしてその問題が深遠だからではなく、
誤っているからなのだ。
カルロ・ロヴェッリ
氏が言うような定式化とまではいきませんが、世の中で問題とされる事象の中には、確かに問題自体が誤っていることがあるように思います。
結構よくあるのが、これは複雑な問題で、いろいろなことが絡み合っていて、解決が難しいという話で終始する場合。
でも、実際にはそれぞれの問題が本当に相互に関係しているかどうかは、それぞれの問題をパラメータとして設定して、変化させないとわかりません。
また、問題を複雑に見せることで、解決するのを拒んでいる場合もあるのかなって。
というのも、問題が解決するということは、その解決策を出した人の手柄になります。
しかし、それを良しとしない人もいるわけです。
目的が問題の解決ではなく、相手を貶めることになってしまっているケース。
また、問題が解決してしまうと、自分たちの立場が危うくなるので、解決を阻む人も世の中にはいます。
昔流行った言葉で言えば、抵抗勢力とかですね。
特に新しい技術についての抵抗勢力は根強く、また多くの場合、決裁権者や権力を持っている方たちが、高齢ということもあり、新しい技術に対しての忌避感というか、理解できないことゆえの不安感や恐怖感があるので、強く反発されることが多いように思います。
そう考えると、問題解決には、まず関係者やステークホルダーの方たちの理解が最優先なのかもしれません。