人は、棚からぼたのように落ちてきた幸福はあまり好まない。
アラン 幸福論 (岩波文庫)(Amazon)
自分でつくった幸福が欲しいのだ。
アラン
人から与えられたものって、そのときは確かに嬉しいですが、ありがたみを感じにくいときはありますよね。
誕生日とか、何か記念日などに大切な人から貰ったものは別ですが、あまり親しくない人から、高価なものを貰っても、困ってしまうこともあります。
ワタシ自身、とても大切にしているものがあって、それは最初の職場を辞めた時にいただいた万年筆です。
昔はよく使っていたのですが、最近では万年筆というか、ボールペンなどでも文字を書く機会がほとんどないので活躍することはありませんが、箱に入れてちゃんと保管しています。
その一方で、とても前ですが、ちょっと高価なブランド物のバッグをいただいたことがあります。
それは引っ越しの際に、使わないこともあって処分してしまいました。
この違いって何かなあって思った時に、プレゼントを送る人との人間関係なのかなって。
万年筆は職場の仲間からいただきました。
最初の職場ということもあって、いろいろとご迷惑をおかけして、大変お世話になった同僚からいただいたものです。
その万年筆を見ると、当時のことをよく思い出します。
仕事で大変だったことや飲みに行ったこと、楽しい話や悩み事など様々な話をたくさんしました。
親友ともまた違う信頼関係があったように思います。
ほんとうに色んなことがありましたが、今ではとても幸せな思い出でもあります。
バッグの方は・・・、とある会で知り合った方から、突然いただきました。
一応誕生日ではあったのですが、そこまで親しいわけではなく、なぜ?という感じでしたが、押し切られる形で受け取りました。
結局、バッグはほぼ使わず、またその会合にも参加しづらくなってしまい、そのままフェードアウト。
この違いは、ワタシ自身の思い入れの違いというか、そこでワタシが生きた証なのかなって。
ちょっと大げさかもしれませんが。
でも、ワタシがその職場で頑張っていたからこそ、同僚が助けてくれたとも思いますし、だからこそ高級なバッグよりも全然安い万年筆の方が価値があるとワタシは感じているのだと思います。
何が言いたかったのかと言うと、幸福というのは自分自身が生きていることを実感できている時なのかなーってことです。
誰かに何かを与えられ生かされているのではなく、自分の力で生きていると感じているときが、一番幸せなのかなって。
そんなことをアランの言葉を読んで感じました。