環境省の第45回中央環境審議会動物愛護部会の資料「動物愛護管理をめぐる主な課題(資料集)」から日本と西洋の動物観の違い(イメージ)がとても興味深かったのでご紹介します。
ざっと見ただけでもかなり違いがあることがわかりますね。
動物は管理・支配すべき物/(家族)
私的に一番注目したのは、法律に見る違いの動物の捉え方(基盤的な動物観)です。
日本では、共に生きる命(命はつながり、循環する)/(犬畜生/家族)で、
西洋では、神が人間の資源として与えた(管理・支配すべき)物/(家族)
という点。
動物に対する考え方は、この基盤的動物観がかなり影響しているように感じました。それが動物への配慮のあり方や法律などにも大きく影響を与えているように感じます。
ヴィーガン活動の違い
例えばヴィーガン。
日本では動物への配慮のあり方で殺すことを避ける思想があり、日本のヴィーガンの活動は屠殺されている動物が可愛そうというメッセージが強いです。
しかし西洋では感受性があるので、苦痛を与えないことを優先するが、生殺与奪は人間次第という捉え方で、電気ショックで屠殺するという考え方が生まれたのも納得ができます。
また、先日英国王室がフォアグラ禁止令を出したニュースもありましたね。飼育方法が残酷という理由ですが、それも基盤的動物観から考えると人間がしっかり管理できていないという観点から納得できる主張です。
参考 → アベプラでヴィーガンのイメージを下げた今井レイラさんを残念に思う | Aoi Yuki Blog
動物保護シェルターの違い
日本では飼い主が飼いきれなくなったら、行政で引き取り譲渡・殺処分されたり、放生され遺棄されてしまうケースが多いようです。
西洋では安楽殺や民間シェルターで引き取っているようです。
この違いもやはり基盤的な動物観の違いが大きくでているように思いました。
先日アベプラで見たねこホーダイの話題でも、保護シェルターについては海外の方が進んでいて日本は遅れているという話が出ていましたが、そもそも動物観に違いがあるので遅れているというわけではないようにも思います。
つまり西洋ではそもそも動物は人間がしっかり管理するものであり、その管理体制を整えるために法律があるという感じです。
一方日本では動物の命を救うことが大切であるものの、管理するという考え方があまりないため、飼い主に依存しているように思います。つまり、多くの人が動物の命は大切だと思っているので、ぞんざいには扱わないだろうという考え方です。
なんとなくではありますが、性善説と性悪説にちょっと感覚が近いかもしれないと感じました。
参考 → サービスの是非だけでなく「猫の命を救う」ために必要なことをもっと議論して欲しかった | Aoi Yuki Blog
ただ海外を真似るは違うかもしれない
日本と西洋では文化が大きく違いますし、考え方も違います。その根底には宗教の影響が大きいかなと思いました。
そのため、単純に海外では〜という接頭語で海外のやり方を真似て、そのまま日本に適用するのはちょっと違うのかもしれませんね。