怒りに襲われた者には、
ブッダの真理のことば 感興のことば (岩波文庫)(Amazon)
たよりとすべきいかなる帰趣(よるべ)も
この世に存在しない。
ブッダ
帰趣とは「よるべ」と読み、落ち着くところを意味します。
つまり、怒りに襲われた人は、最終的に落ち着くところが存在しないというブッダの言葉です。
少し前の話ですが、祖父が亡くなりました。
祖父は気性が荒い人で、気に食わないことがあると怒りを待ち散らす人でした。
祖母には先立たれていて、息子夫婦と二世帯住宅ですが、息子夫婦も腫れ物扱い状態。
晩年は誰も祖父の元を尋ねる人はおらず、息子夫婦もできるかぎり家にいないようにしていて、独りただテレビを見て、酒を飲むという生活を送り、そのまま亡くなりました。
そういう生き方が良いという人もいるでしょう。
なので、正しいとか、正しくないという話ではありません。
自分が最終的に、どんな晩年を過ごしたいのかということが大切かなと。
怒りに襲われ、周囲に当たり散らし、人から嫌厭され、孤独に過ごしたいのか、それとも様々な人と接して過ごしたいのか。
家族に見捨てられるような人生を過ごしたいのか、家族と仲良く過ごしたいのか。
自分の胸に手を当てて考える時間を作るのが重要なのかなとワタシは思います。