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森永先生の最後の言葉がすべてを物語っている
動画でも様々な議論がありましたが、年金納付の年齢引き上げは、森永先生の最後の言葉
「65過ぎた途端に、バタッと体力落ちるんですよ。で、例えばね、今話しててももう眠いんです。昔こんなことは無かった」
がすべてを物語っているようにワタシは感じました。
年金で悠々自適に暮らす?
それだけ体力が衰えてしまった状態で、悠々自適に暮らすというのは難しいでしょう。
歳を取れば脳の能力も低下していきます。
つまり、今の若い時とは全然違う状態なわけです。
それがこの年金納付の件については、ちゃんと語られていないのがワタシ的にはとても残念でした。
稼いでいる人にとってはどうでも良い話
年金納付を伸ばしても問題無い、ずっと働いていたいという意見もありました。
そのような方たちは、もうすでに結構稼いでいるので、年金が無くても暮らしていけるんですよね。
つまり、どうでも良い話なんです。
100万増えようがはした金。そういう人たちが議論をしても、実際に苦労している人たちとは感覚も違うし、お金の価値も違うので、良い議論は生まれないかなと思います。
もっと当事者の人たち、それも一般の人たちの声を聞く必要があるのではないでしょうか。
歳を取ってもずっと働ける?
もう1つ、歳を取ってもずっと働いていたいという意見について、歳を取れば体力も能力も落ちてきます。
どうやっても若い人たちには勝てません。
また、どんどん新しい技術が登場し、歳を取るとそれを理解するのにも苦労します。というか、ほとんどの人は理解できないでしょう。
そしてこれは自分が歳を取らないとわからないことなんですよね。
歳を取って初めて、ああ、今までと同じ仕事はできないんだということに気づくわけです。
その時に、経営陣などになっていれば、別に問題はありません。
なにせ、新しい技術を理解しなくても、若い人と同じパフォーマンスが出せなくても、判断するだけなので。
例え間違った判断だとしても、その時までに十分お金も稼いでいますし、ちょっとやそっとでは大きな企業は潰れないというのもあります。
ただ、そういう状態になれる人というのは数が限られています。
この問題は、そういう裕福な人たち以外の話なのです。
新しい価値観が必要
これはワタシが思っていることですが、新しい価値観が今求められているのかなと思っています。
資本主義によってお金至上主義になった社会からの脱却と言っても良いかもしれません。
森永先生が月13万で暮らせるか試してみたという話がありましたが、まさに国民の多くが、そういう生活をしないといけなくなる時代になったということです。
都心部で暮らすにはとてもお金がかかります。
しかし、少し地方に行けば、かなり家賃も安いですし、歳を取れば食べる量も減るので食費もかなり軽減できます。
何が言いたいかというと、東京一極集中からの脱却。そして、慎ましい生活に価値を見出すことが、必要なのかなと思います。
お金が無くても幸福になれる価値観へシフト
慎ましい生活というと貧乏とか、悪いイメージがあります。ただ、これは資本主義に毒された人間の固定観念です。
そもそも本人が幸せかどうかは、お金の量ではなく、本人の価値観に依存します。
お金があっても不幸な人はいますし、お金が無くても幸福な人はいるわけです。
もちろん、お金の量に幸福を感じる人もいるでしょう。
で、国民全体の価値観をお金が無くても幸福になれる価値観へシフトさせることが重要なのかなというのがワタシが考えていることです。
というか、今後社会はそのように変化していくでしょう。
余談
どのような価値観なら、お金が無くても幸福に感じることができるのでしょうか。
これはとても難しい問題です。
ただ、そのヒントとして、ワタシは中国古典があるのではないかなと思っています。
例えば、老子とか、墨子、菜根譚などは、そのまま適用はできませんが、価値観を変えるヒントになるのではないでしょうか。
また、哲学の分野では、ショーペンハウアーやアラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)などの幸福に関する書籍もヒントになりそうです。
これらに共通しているのは、心の豊かさを大切にしようということです。
心の豊かさが無ければ、幸福を感じることができないということでもあります。
おそらくですが、今後、そういう時代へ変化していくのではないかなとワタシは考えています。
リンク
- 日本年金機構
- 年金 – Wikipedia
- 日本の年金 – Wikipedia
- 老子 – Wikipedia
- 菜根譚 – Wikipedia
- アルトゥル・ショーペンハウアー – Wikipedia
- エミール=オーギュスト・シャルティエ – Wikipedia