善いとは何か? アニメ「バビロン」で考える善

投稿者: | 2020-05-04

衝撃的な設定のアニメ「バビロン」。その評価は賛否が分かれています。

ストーリーはこんな感じ。

「生きることは善いこと」 その常識が覆される時代が訪れたら、あなたはどうする。 読む劇薬・野﨑まどが綴る衝撃作が、遂に禁断の映像化! 「その啓示は、静かにそっと訪れる-」 東京地検特捜部検事・正崎善は、製薬会社の不正事件を追ううちに、一枚の奇妙な書面を発見する。そこに残されていたのは、毛や皮膚のまじった異様な血痕と、紙一面を埋め尽くすアルファベットの『F』の文字。捜査線上に浮かんだ参考人のもとを訪ねる正崎だが、そこには信じがたい光景が広がっていた。時を同じくして、東京都西部には『新域』と呼ばれる新たな独立自治体が誕生しようとしていた。正崎が事件の謎を追い求めるうちに、次第に巨大な陰謀が見え始め–?

バビロン
アニメ【バビロン】第一弾PV

評価が分かれる理由として、本作品は最後の12話まで見て、はじめて内容がわかる作品というのがあります。序盤は曲瀬愛というキャラクターが強すぎて、曲瀬愛を捕まえる話に、中盤は自殺を合法化する自殺法という新しい概念の話に、そしてそれらを踏まえた上で最後の話(善とは何か?の結論)につながっていくという構成です。

ですので、中盤まで見ただけでは、本作のテーマである「善とは何か?」と問われるだけでほとんど語られないため、本作の評価は難しいです。

アニメ「バビロン」を評価するのであれば、ぜひ最後の12話まで見て、その上で評価してほしいかなって思います。

また、本作のテーマである「善とは何か?」を理解するには、哲学の知識がある程度必要になります。それがこのアニメ(原作はマンガ)の評価を難しくしているもう1つの理由です。


以下、ネタバレとワタシ的考察を書いていきます。

ネタバレと考察の前に

本作のテーマは「善とは何か?」です。そしてその結論は12話で出ます。11話まではその布石になります。

まず、自由主義について少し知識が必要です。というのも、自殺法は自由主義の流れを組む考え方だからです。自由主義にもいろいろとありますが、本作では自由主義の中でも、極端な考え方の自由主義になります。実際に自由主義には様々な考え方があるので、ひとまとめにはできませんが、ここでは究極の自由主義を「他者の自由を侵害しなければ、何でも自由にしてよい」という考え方で進めていきます。

つまり、自殺法とは究極の自由主義の形なのです。その上で、「善とは何か?」というテーマが入ってきます。「究極の自由主義における善とは何か?」ということです。

善とともに語られることが多いのが正義でしょう。そうなのです。本作では「正義とは何か?」というのもテーマになっています。特に、正義の執行です。警察というのは正義の1つの形です。ここで、勘違いしてほしくないのは、本作のテーマは警察批判ということではありません。そもそも、「正義の執行における基準とは何か?」という話なのです。そして、それは「善いこと」に従うということになります。

また、ラストを語る上で忘れてはいけないのが、功利主義や直観主義という考え方です。功利主義とは、簡単に言えば最大多数の最大幸福になります。直観主義は善いこととは人智を超えたところにあるという考え方です。倫理観や道徳観とも言えます。

それらを踏まえた上でラストシーンを考えると、本作の凄さを感じていただけるかなって思います。

ラストシーンのネタバレと考察

さて、ラストシーンを見ていきましょう。ラストでは主人公の正崎善が曲瀬愛に操られたアメリカ大統領を撃ち、そこに曲瀬愛が現れ、正崎善と対峙します。そして銃声が鳴りブラックアウトします。エンディングテーマのあと、曲瀬愛が登場し終了するというものです。本作では基本的に時系列が入れ子にした叙述トリックのようなことは無かったので、最後の銃声で正崎善は曲瀬愛を撃てなかったという結論で考えます。

1つ目の命題

まず、正崎善とアメリカ大統領は、「善いこと=続くこと」という結論を導き出しました。つまりこれは、自殺法は間違っているという考え方です。

しかし、アメリカ大統領は曲瀬愛に操られ自殺しようとします。正崎善はそれを止めるため、アメリカ大統領を撃ちました。これは「善いこと=続くこと」に反する行為になります。しかし、アメリカ大統領を撃たないと、アメリカ大統領が自殺してしまい「善いこと=終わらせること」になってしまうため、仕方なくアメリカ大統領を撃つことになります。

さて、この行為は正しかったのでしょうか?

これが1つ目の命題です。トロッコ問題と同じで、多くの人の命と1人の命を天秤にかけた場合、1人の人間を殺すのはありか?という話になります。

功利主義(最大多数の最大幸福)で考えれば、当然アメリカ大統領を撃つのは正しい行為です。しかし、直感主義(倫理感・道徳観)では、正しい行為と言えないでしょう。

貴方はどう考えますか?

正崎善がアメリカ大統領を撃った行為は正しいのでしょうか?

それは功利主義の考え方に基づくものでしょうか?

功利主義には、臓器くじといった問題点があります。臓器くじとは、くじによって選ばれた健康な人を殺し、臓器移植をすれば助かる人を複数助けるというシステムです。実際には存在しませんが、功利主義を突き詰めたときには、この臓器くじは正しい行為となります。

しかし、実際には臓器くじをしようと誰かが言っても、容認する人はほとんどいないのではないでしょうか?

ここで登場するのが究極の自由主義「他者の自由を侵害しなければ、何でも自由にしてよい」です。しかし、この考え方に基づけば、アメリカ大統領を殺すことは、他者の自由を侵害することになります。そこで抜け道ではないのですが、自由主義では、本人が殺して欲しいという合意があれば、殺すことを容認しています。これが、いわゆる自殺法です。

つまり、大統領が殺してほしいと願い、正崎善はそれを実行したと考えるならば、両者に合意があったと言えるため、究極の自由主義としては正しい行為と言えるのです。しかし、それは自殺法を認めることになってしまいます。

これが本作「バビロン」の1つ目の命題です。

皮肉にも、自殺法を否定する立場の人たちが、自殺を容認するという状態なのです。

2つ目の命題

そして、その後すぐに2つ目の命題が登場します。曲瀬愛です。

曲瀬愛は、話をすれば誰でも操れるという超人的な能力を持っています。あくまで、命題を作るための象徴的な存在なので、そんな人間は実在しないとか、能力が強すぎてバトルになってないといった批判は、意味を成しません。

人間は究極の悪を目の前にしたとき、それが人間だったら、その人間を殺して良いのか?というのが2つ目の命題です。曲瀬愛は少しやりすぎかもしれませんが、世の中には、およそ人間の所業とは思えないことをする人が僅からながら存在します。そのような人たちを殺しても良いのか?という話です。

日本でも死刑制度があります。その意味では、答えは「殺すことを容認する」ということです。

正崎善とアメリカ大統領は、「善いこと=続くこと」という結論を出しました。つまり、死刑については否定的考え方と言えます。どんな悪であっても、終わらせてはいけないということです。曲瀬愛が自殺を望んでいるのであれば、正崎善が撃つことはできたでしょう。しかし、曲瀬愛はそれを望んではいませんでした。これは手で銃の形を作って正崎善に向けたことからもわかります。

ラストシーンで曲瀬愛は生きていますので、正崎善は曲瀬愛を撃つことができませんでした。

あなたならどうしますか?

曲瀬愛を撃ちますか?

そして、このシーン、もう1つ仕掛けというか考えなければいけない点があります。

それは、銃声です。正崎善が撃ったことは間違いありません。この銃声は、曲瀬愛の横をかすめたのでしょうか? それとも、正崎善が自殺をしたのでしょうか?

ここについては描かれていませんが、どう考えますか?

ワタシは正崎善が曲瀬愛を撃てなかったと考えています。「善いこと=続くこと」のためです。しかし、正崎善が自殺したという考え方も興味深いと思いました。その場合、皮肉なことに自殺法を止めるためにアメリカ大統領を撃ったにも関わらず、自分自身が自殺法を容認するという行動を取ってしまうのです。

また、曲瀬愛は様々な人間を操ってきましたが、正崎善を操ることはしませんでした。いくらでもできたのにです。それはこのラストのためと言えるでしょう。善悪について分別のある人が、善を貫き通せるのか?という話でもあります。

結論

最終的な結論として、「善いこと=続くこと」だが、それも状況によって変わるのではないか?というのが本作のテーマかなと思います。本作はかなり複雑に話が作られていますが、例えば愛する人が殺されたとき、あなたは殺した人に対して、どう思いますか?という話がわかりやすいかもしれません。

ちなみに、現代哲学において、「正義とはなにか?」という問いは、「考え続けること」という感が方になっています。絶対的な正義は存在しないという立場です。それはトロッコ問題でも述べられている話で、5人なのか1人なのかの二者択一の選択ではなく、最上の方法を考え続けることが大事だとしています。

本作でも、それは同様かなーって思います。

あなたにとって、「善いこと」ってなんですか?という話です。

これは序盤で曲瀬愛が捕まったときに正崎善に聞いていることと一緒です。善ってなんでしょう?と。このとき、正崎善はちゃんと答えることはできていません。悪いことは悪いという考え方で、これは哲学で言えば直観主義と言えます。本作では、それも否定していると言えるでしょう。

そして究極の自由主義自体も最後のシーンで否定されます。自由主義では、問題を解決できないのでは?と投げかけているのです。曲瀬愛が生きていることで。

あなたにとって、「善いこと」ってなんですか?

そしてその「善いこと」を貫くことはできますか?


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